10月3日の控訴審は本当にあきれてしまった。ここでは少しロングの視点で、弾圧と司法のあり様が果たして変容しているのか、それとも昔も今も変わらないのか、ということを、裁判闘争や反弾圧の関わりの経験と記憶を頼りに考えてみたい。
無茶苦茶な弾圧が常態化している関西と違って、東京圏ではここ10数年、起訴―有罪に至る規模の弾圧は数えるほどしかなかった(起訴に至らないデモなどでの逮捕は数えきれないほどあるが、それは省く)。2000年以降でいえば、反戦落書き(2003年)、立川テント村3名への自衛隊官舎への反戦ビラポスティング弾圧(2004年 一審は無罪)、以降続発したポスティング弾圧(共産党に対しても)を除けば、法政大学における集中弾圧(逮捕のべ100人以上、無差別起訴で無罪判決もあり。この弾圧に関わった検事が、園さんを起訴に持ちこんだ悪名高き木下)、特定党派・団体を狙った弾圧を除けば、今のところ、竪川弾圧の起訴・有罪は突出したものといえる。
東京における野宿者運動つぶしを狙った起訴攻撃は、1996年新宿の「動く歩道」名目の強制排除阻止決戦(3人起訴)で、路上にバリケード、座り込み、生卵を数百個投げるという実力攻防にもかかわらず、一審では「抵抗権」が事実上認められて無罪(二審は逆転有罪)と今ではあり得ないような展開だが、決して当時の弾圧が今と比べてゆるかったわけではない。時代状況も社会党党首(村山)を首相とする連合政権から自民党政権に揺り戻し、95年地下鉄サリン事件以降の監視と治安管理強化の流れは確実にあった。それでも、メディアの報道の仕方(朝のニュース全局中継)、世間の関心(排除から1カ月の街頭カンパだけで100万円を超える)、海外の反響、支援の拡大(雑誌「AERA」に意見広告も)もあって、話し合いを拒否していた東京都福祉局が、新宿連絡会(当時)を交渉団体として認め、新宿西口地下のダンボール村は、1998年2月の大火災まで維持されるなど、「背景事情」を無視できないだけのことはあったのだ。
この「背景事情」は、川村弁護士が、「かつての三里塚闘争裁判では、判決にも背景事情が織り込まれていた」と語っていたが、思い出すのは、90~91年頃、千葉地裁で連続して傍聴した「成田治安法による団結小屋強制撤去」に伴う抵抗への弾圧。抵抗といっても機動隊に向かって火炎瓶を投げつける激しいもので、今だったら実刑間違いなしが、ほとんどが執行猶予(4~5年)、竪川の威力業務妨害とそれほど差はない(ただし、保釈までの勾留は長期にわたり多くが1年半~2年)。なぜ執行猶予が多かったというと、「背景事情」である。国の強権による成田空港建設、強制代執行のやり方も大いに問題があったということが、判決の中身に反映されていた。
さらに(96年の新宿でも)逮捕にあたった機動隊員や公安刑事が次々に証言にたつと、弁護団や被告団がガンガン追及して、立ち往生させることも珍しくはなく、さらに傍聴席から怒号と拍手が騒然とした状況になっても、ほとんど退廷も拘束もなかった。東京地裁・高裁でも、威力業務妨害程度の件で、これほどのガジガジの警備法廷(Tシャツ規制の異常さも含めて)は、少なくとも90年代にはなかった。なぜか、当時に比べ、より生きづらい社会になり、格差から原発事故まで矛盾は拡大の一途、だからこそ社会に敵対する芽は摘んでおかねばならぬ。「お上」に逆らい、反省も謝罪もしない常習犯(扇動者)の言い分など聞く必要はないし、「背景事情」を斟酌するなどもってのほかだというわけだ。
治安維持法研究の第一人者・荻野富士夫さんの名著『思想検事』『特高警察』(いずれも岩波新書。興味ある方は是非読んで)によれば、治安維持法(1925年制定)は当初、国体転覆(革命)を目指す団体(共産党)の弾圧に重きが置かれていたが、容易に根絶やしにできない。そこで1933年の改正(改悪)を契機に文学や芝居など文化方面まで弾圧の対象が際限なく拡がってゆく。その根拠は、「思想犯=結核菌」の考え方にあった
「予防医学」ともいえるこの考えは、ナチスのゲシュタポも参考にし、2001年(9・11)以降のアメリカが、対テロ戦争、弾圧にも応用していると言ってもいい。対テロ戦争に踏み込むブッシュ時代のアメリカは、「愛国者法」という名の治安維持法が猛威を振るい、イスラムというだけで礼状もなしに拘束されるのは日常茶飯になった。「こいつらはいつテロリストになるか分からない」それって、ほとんど「左翼―結核菌」の考えではないか。そして、テロリストの容疑をかけられた者には違法な拷問がなされた。治安維持法は過去の悪夢ではなかったのである。
そして今日の安倍政権。臨時国会に提出した秘密保護法を突破口に、来年の通常国会以降に控える盗聴法の拡大、そして真打ちの共謀罪へと続く治安法整備は、2020年の五輪―対テロ戒厳体制―反社会分子・異端分子を放置せず、あぶりだし、芽のうちにつぶすという方針がじわじわと露わになってきた。10月3日の審理打ち切りは、高裁・八木の暴走だけで片付けてはならない。司法権力としては、新たな治安維持体制を整備していく上での態度表明に見える。やつらの思い通りにしてはならない。多様な発想でしたたかに反撃しよう。(救援会・F)