12月4日公判・被告人質問の報告/次回は2月6日検察側の求刑、2月28日最終弁論です

大変遅くなりましてすみません。12月4日の第6回公判報告です。この日はヤマ場と言える被告人質問。2時間に渡る弁護人3人の質問に、被告の園が答えました。検察は裁判官に、これは園が単に暴れただけの事件であり、園はそういう人間でありる。江東区の行いや野宿者排除問題など関係ない、自治体への抗議が少しでも激しくなればそれは犯罪である。そう植え付けようとしてきました。

そこで1:10年前から社会運動に関わってきた経緯と思い(まじめに色々やってきたこと)。2:竪川の運動と2/9区役所行動に参加した経緯と思い(単なる「暴れ屋」ではないこと)。3:過去2回の自分の逮捕事件(08年麻生邸リアリティツアー事件、11年「差別・排外主義にノー!デモ弾圧)は明確な不当逮捕であること(自分でなく警察が悪いこと)をアピールしました。

裁判官を信頼しきっている検察は相変わらず少ししか質問しない。そして裁判官も、園がした行為だけに焦点を当て、「でもやったんでしょう?」「反省してますか?もうやりませんか?」としか聞かない。有罪と決めかかっているかのような、公平でない、まるで検察側の質問です。今まで竪川の仲間や弁護団や社会学者の仲間が長時間説明してきたことは何だったのか。裁判の形骸化、裁判所の権力との一体化は許されません。しかも江東区はこの裁判の週に前代未聞の2度目の行政代執行をやろうとしており、悪いのは江東区です。最後に園がそれらを主張しました。必ず覆し、無罪を勝ち取ることで変えましょう!

終了後は恒例の弁護士会館での報告会。そして翌日12月5日、多くの仲間が竪川への行政代執行を止めるために現地に熱く集まりました。何と200人ものガードマン・職員・警察が押し寄せましたが、人数の力と創意工夫で野宿の仲間の小屋を守り抜きました。しかし江東区は腹いせに何と公園の水と電灯を止め、高さ2Mもの鉄板を公園に張り巡らせ、小屋を壁で包囲してしまいました。これに対し、竪川の仲間は粘り強く「元に戻せ!」と区に直接訴え続けています。そして救援会も12月20日に交流集会を行い、今年の活動を終えました。

今年は2月6日(水)13時半~検察側の求刑、2月28日(木)13時半~私たち被告側の最終弁論、ともに東京地裁429号法廷です。無罪を勝ち取るために頑張りますので、ぜひ傍聴席を埋め尽くして下さい!結審が予測される3月までに、様々なアクションを考えています。そして江東区の竪川への全ての暴力・嫌がらせ・強制排除もやめさせましょう!
この間の関西の反原発運動への大弾圧でも、逮捕時の罪状から「威力業務妨害」に切り替えての起訴が連発されています。問題は同じ、つながっていきたいと思います!
「関西大弾圧救援会」http://blog.goo.ne.jp/kansai-dan
「関西大弾圧救援会・東京の会」http://ameblo.jp/kansai-tokyo-kyuen

以下、12/4公判での被告・園の受け答え文章です。

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12月4日竪川弾圧裁判・被告人陳述プロット(園良太) 

1.運動にかかわってきた動機

私が野宿者の生存問題のような社会問題に取り組みたいと思ったのは、2001年の米国の「9.11」事件からイラク戦争に至る時期がきっかけです。それまで何ら社会運動に関わりの無かった私ですが、あの大事件と「報復戦争」はメディアでも大きく報道され、力に力で返そうとする米国と支持する日本の姿勢に疑問を感じました。そして私と同世代の人々がたくさん戦争反対デモに繰り出したため、私も参加するようになりました。街頭デモは多くの出会いと開放感があり、デモでの意思表示は誰でも参加できる民主主義の基本だと実感しました。その中で国家の戦争は数え切れない人を殺してしまう、人道的に許されない事だと知りました。そうした国家の暴力や人権侵害がまかり通る世界に関心を持ち続け、それに反対し続けたいと思い、運動参加が自分の人生のようになったのです。

 そしてそもそも私が10代の1990年代は日本が長期不況になり、親はリストラ、子どもも就職難、さらに阪神大震災やオウム真理教の大事件があり、普通に生きていても社会に関心を高める時代でした。反戦運動参加もそれがベースにあり、さらに2000年代半ばに「貧困」「格差社会」が本格的に問題化し、私も就職に失敗しました。そこで若者・雇用問題の講座や勉強会を開催し、2007年からは「フリーター全般労働組合」に参加し、デモや団体交渉を経験しました。貧困や就職難は「自己責任」ではなく社会構造の問題で、それを私たち自身が変えなければいけないと思いました。

 そうした活動の中で、自分達の問題だけでなく、より弱い立場の野宿者の人々が澁谷区や墨田区から排除されようとしている事も知りました。私たち若年層がそうなるはるか前からそうであり、この日本は弱者を排除し搾取することで常に成り立ってきたと思いました。また在日朝鮮人や外国人労働者の人々も差別・排除され続けており、近年はそれが東アジアバッシングの中でまっていました。さらに2010年には沖縄の人々が米軍普天間基地を押し付けられ続けてきたことへの抗議の声が爆発しました。そうした多数派から排除・差別される人々の問題に無関心になったら自分もその構造に加担してしまいます。そうではなく、それを政府・行政に抗議しやめさせることが自分たちの責任だと思い、大きなデモだけでなく、野宿者排除の行政代執行の現場や、沖縄基地反対の防衛省抗議など、様々な運動現場に参加し続けました。その結果、2011年2月にはアフリカ・セネガルの「世界社会フォーラム」に参加することになり、世界中に格差・貧困の問題があることを知り、つながりが増えました。

 そして「3.11」の原発事故で東北にもこの関東にも放射能が降り注ぎ、私は原発は止めなければいけないと強く思いました。自粛ムードと「頑張ろう日本」の挙国一致体制に覆われていくのは戦前と同じだと思い、街に出て、責任者の東京電力前で抗議をしなければいけないと思ったのは、今までの自分からすれば必然です。そして3月18日から始めた東電前抗議には多くの人が参加するようになり、東京・全国に反原発デモが広がっていきました。私自身も多くのメディアに取り上げられました。この未曽有の危機に「何かしたい」と思った人は、それこそ子どもを持つ親から学生、40年ぶりにデモに来た年配世代まで広がり、私の10年間活動してきた問題意識や経験もそれと結びつき、今年の首相官邸前の第行動などが当たり前になっていったのでした。

私はこうして、人間の人権を守り、時代状況を少しでもよくしたいと思い、必要だと思う行動を真摯に行ってきました。そして最初の自分がそうだったように、誰でも参加できるようにしたい、それが民主主義の基本だと思い、街頭での行動にこだわってきました。しかしどの国でもいつの時代でも、そうして多くの人が街頭に出る事を権力を持つ人々は最も恐れてきたために、ごく普通の非暴力行動をしていたのに、過去3回も不当逮捕されました。つまり私の行動の結果ではなく、彼らの運動を潰したいという意思の結果です。08年の「麻生邸リアリティツアー」はただ歩道を歩いていただけなのに、公安警察が体当たりしてきたでっち上げ逮捕であることはユーチューブの映像で証明されています。そのため国家賠償請求訴訟を闘っています。また2011年の「差別・排外主義にNO!9.23行動」もただデモを歩いていただけなのにいきなり押し倒されました。その証拠にどちらも不起訴です。そして今回の江東区役所でも、ガラス破損を行う意思はなく、すぐに全額弁償しました。それを「威力業務妨害」に切り替えて=でっち上げて起訴したのは、警察・検察が私を長期勾留し、街頭行動を盛り上げさせたくないからに尽きるのです。

2.2月9日の行動は必然だったこと

 私は「行き当たりばったり」や「騒ぎを起こしたくて」2月9日の行動に参加したのではありません。第1回公判の冒頭意見陳述でも述べましたが、以前から野宿者問題に関心を持っており、竪川の酷い現状も年明けから見ていました。そして何より私は反原発運動に深く関わっていたため、1月27日と2月8日の竪川強制排除が経産省前に人が結集していた時を狙い撃ちしたとしか思えず、卑怯な手法に怒ったからです。イラク反戦の時代から国家暴力に怒りを感じ、被害者と連帯してこようとしましたが、それと同じものを今回の江東区と竪川に感じたからです。しかも反原発運動と異なり竪川は常に少人数で、そこに大量の区職員・警察・ガードマンが押し寄せ、これまで証言されてきた暴力が振るわれるのです。小屋を叩きつぶし、当事者と支援者に殴る蹴る暴力排除を行い、病気気味の当事者を真冬の路上に放置したのです。一人でも多く現場に駆け付け手助けしたいと思うのは人間として当然の心情ではないでしょうか。1月27日も2月8日も私は経産省前にいて、強制排除の瞬間には間に合わなかったため、翌日9日はきちんと竪川に行きたい思いました。そしてそこで話を聞いた当日区役所に説明を求める行動にも、きちんと参加したいと思いました。

 そうして行った区役所窓口の対応はひどいものでした。私たちは誰でも入れる公式の窓口に行き、以前は応接室に通されて話し合いをしたのに、最初から質問にまともに答えず、背後にはジャージを着た職員が続々現れ、まるで強制排除するかのような不穏な空気になりました。責任者の荒木は机にコートがかかっているのに、窓口職員が「今日はいない」「どこにいったかわからない」と繰り返します。「なぜ団交の約束を破ってあんな暴力排除をしたんだ、今後はどうするんだ」といくら聞いてもはぐらかされ、区が竪川の現場から持ち去った「私たちのものだから返してくれ」と言っても「持ち主不明だから返せない」と言い張ります。こんな酷すぎる対応をされていたら、私たちの声が大きくなり、抗議の度合いが高まるのは当然です。私がカウンターで「江東区は暴力排除をやめろ」と大きめの声を上げ始めたのはそれが理由です。そうしたら職員が「庁舎管理権で強制排除!」と文書を読み始め、背後から大量の職員が襲いかかり、両手両足を持たれて庁舎外に叩き出されました。明らかな庁舎管理権の乱用です。

こんなやり方をされたら、排除されないように抵抗するのも、排除後に「中に入れろ」と抗議するのも当然です。これまでの竪川での暴力排除、窓口での不誠実極まりない対応、そして庁舎外への強制排除と積み重ねられたからであり、問題は全てつながっています。区は区役所での警備計画を作成したことが発覚しており、過去の警察の不当逮捕同様、私が区の通常業務を「威力業務妨害」したのではありません。まず区の竪川での「通常業務」自体が違法不当であり、それが抗議される原因を作りました。さらに私たちを排除することが区の通常業務に予め組み込まれており、それを発動させたに過ぎないのです。裁判官にはこの客観的な事実をきちんと見極めてほしいです。

 繰り返しますが、人が社会運動に参加するのも、貧しい人が野宿生活で助け合っていくのも、誰でも経験しうるこの時代の必然です。もし行政の強制排除への説明要求や抗議行動を次から次へと有罪にしてしまったら、全ての人の人権も民主主義も死に絶えてしまいます。無罪こそが唯一最大の答えなのです。

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